宇多田ヒカルさんの「タイム・リミット」という曲が好きで、
昔から傷ついたとき、日常のふとしたとき、迷うとき…
様々な場面で聴いてきました。
仮に何事にも終わりが訪れるとしたら
なおさら今を愛せる気がするよ
新しいものが大好きな私たちは 飽きやすいから
そろそろ成果が現れ始めなきゃやめてしまう
傷つきやすいまま大人になったっていいじゃないか
タイム・リミットのない頑張りなんて続かないよ
制作物ってそのひとの価値観や生き方が現れますよね。
それを感じるのが好きです。
永遠や希望こそ良しとされがちな世のなかで、”リミット”を謳う歌詞。
当時中学生だった私に、深い衝撃と影響を与えてくれました。
リミットがあるから、アテにしない。
リミットがあるからこそ、いま現在に力をそそぐ。
それは身をキュッと締めてくれるような考えをもたせてくれます。
いまも私自身の行動の礎になっている気がします。
“状態保存” できたらシアワセなのでしょうか?
永遠に”状態保存”できるものは残念ながらありません。
万物流転が常で、何事にも旬があって、そのときどきで移ろいゆくものですよね。
それが不幸だと思いますか?
私個人的には、「タイム・リミットがあるからこそ、いまを楽しめる」という見方が割と好きです。
そのときどきの変化・感情・飽きは止めることができません。
ふと、昔恋人に告げられた別れの瞬間を思い出しました。
当時こそたくさん涙を流しました。(それはまぁ泣いたんですけども)
だけど、泣いたところで人間の感情を止めることができないのも現実なんですよね。
“縁も流れに任せるべきだろう” と考えることにして、
引き留めることはしませんでした。
(食事はしばらく喉をとおらなかったんですけどね・・・)
そのさきに、合うべきひとに逢い、縁を結ぶ。
出逢いがあるから別れがあり、
別れがあるから出逢いがある。
ひとりで生まれて、愛するひとたちと縁を結び、最後はひとりになって還っていく。
自然に任せて変化に応じる。
うつろいやすいものだから変わらないものに一層感謝したくなる。
愛おしいと思える。
変化による圧力やストレスを超えた先、
柔軟に順応していくなかで、
自身や身の回りが変わっていく。
その変化を楽しめる瞬間がきっと出てくると思うのです。
自然に身をまかせ、状況にゆだねるあり方を見つけていけたら素敵だと思います。
諦めることで、冷静に前を向く
これってある意味「諦め」の気持ちに近いかもしれません。
きっと先ほどの曲は恋愛についてを描いたものだと思うんですが、
毎度聴くたびに慰められるような不思議な気持ちになるのですね。
ある種の諦めのような思いをもちます。
けれど捉えなおしてみれば、それって「楽になる」考え方ではないですか?
ベターっと胸にまとわりつく執着心が
ペリッと乾いて剥がれて宙に浮くような、
軽くフラットな気持ちにさせてくれるのです。
諦め→受け入れ→執着心の解放っていう理屈なんだと思います。
ものごとを「善悪」で判断すると
どうしてもどこかで「責め」が生まれてしまうんですよね。
私も完璧主義がちなので、
うまくいかないとき、ついつい自分を責めてしまうんです。
これは自分の理想像に執着しすぎなんだと思っています。
すこし深呼吸して、離れてみて、そのままを受け入れる。
ゆがみや個性があっても、それは”そういうものなんだ”と認める。
評価してテコ入れするのではなく、ありのままを愛してみる。
執着心というものはなるべくもたないほうが幸せでいられるのでしょう。
“こうじゃないといけない”というマスト思考や依存は、するのもされるのも苦しくなりますから。
互いに自由を尊重できて、一歩離れて尊敬しあうような関係性でいられるといいですね。
人に限った話でなくて、
モノに対してもそうだと思います。
一朝一夕とはいかないですが、ちょっとずつ。
自己の客観視ができるよう、今後も練習しつづけていきたいです。
今日もあなたに、ほっとしたくつろぎの時間が流れますように。